◎ママはさあ、なにになりたいの?

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昨日の自転車トーク。

娘氏(年中)に何の脈絡もなく、

「ママはさあ、パパみたいに大きくなったら、何になりたいの?」

と聞かれました。

 

「ママはパパよりも年上である」と知っているはずの娘氏に「パパよりも大きくなったら」と言われたので、身長や横幅などのことを言われているのだなと思いつつ、パパよりも大きくなるなんて大変だわよ!と、心の中でひとりで脱線しつつ(夫氏はわりと大きめです;)、「ママは、娘ちゃんと一緒に、おばあちゃんになりたい」と答えました。

 

すると娘氏は、「そうじゃなくて、夢のこと。どんなお仕事をしたいか、ってこと」と言います。・・・なるほど。大きくなったら仕事をする、という認識なのね、と思いつつ、いまの仕事は気に入ってるし楽しいから、いまのところ大きな路線変更は考えていないこと、ただもっと勉強したいと思ってるから大学院には行きたいな、と伝えました。

 

「そうなんだ。うちはねえ、まだ決められないの(楽しそうw)」と娘氏。

 

そこで「べつに、ひとつに決めなくてもいいと思うよ。2つか、3つくらいは、できるんじゃないかな?」と伝えておきました。同時期に複数の領域を跨ぐことは非効率な場合もあるかもしれないけど、10年、20年単位で時期をずらしていけば出来ると思うし、これからはそういうクロスボーダーなバックグラウンドを持つことが当たり前になるんだろうな、と思いつつ。(リンダ・グラットンさんの新著も、そんな感じのことがテーマとの認識ですが、まだ読んでません;積読ながい;読みたい;)

 

すると、娘氏は自分なりにいろいろ考えているようでした。一生懸命説明しますが要領を得ず「いまはうまくせつめいできないから、あとで、おうちでおしえてあげる」とのこと。どうも、目線が合わない自転車で、しかもクルマの騒音が激しい幹線道路沿いでは、うまく伝わらないと思ったらしいのです。

 

帰宅して聞いてみると、「月火水は3つのところに行くのね。まず、月曜日は、朝からひとつのところに行くでしょ。そのあと、別のところに行って、また別のところに行くの。火曜日も水曜日も、それと同じように、するの。わかる?」と娘氏。木曜と金曜について聞いてみると、「おやすみにする」のだそうです。なるほど。笑

 

「3日間、毎日3つの違うことをする」ということの実現可能性はわかりませんが、イメージの持ち方としては、悪くない方向性かもしれません。「将来の夢」をひとつに絞る必要はないし、もはやそういう時代でもない。ひとまず、そのことを伝えられたのは良かったなと思っています。本題ここまで。

 

 

関連して思い出したことがあるので、追記的に。

「大きくなったら、なにになりたい?」という質問を、これまでわたしたち夫婦はしませんでした。夫氏の意図は未確認ですが、私は意識して避けていたところがあって、いまでも私からそういう話をすることは滅多にありません。なんていうか、本来「自分のなかから湧き出るもの」であって、ただそれを待ちたいと思うからです。なので、もし娘氏から話題が投げ入れられれば、もちろん乗っかります。

 

で、最初に「将来の夢」的なことを話したのが、つい2ヶ月ほど前のことです。そのときは「馬の研究者になりたい」という話だったのですが、実はそれより前に、親類が集まる場での世間話的に「娘ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」という問いが、娘氏に向けられたことがあったことを、思い出しました。ありがちなシーンですね。笑

 

4才だったか、5才だったか、まあ比較的最近のことですが、娘氏は、イマイチ質問の意味がわからない、といった風情でした。そして、「フツーがいいよ。フツーの娘(名前)ちゃんになりたい」と言いました。それで、なるほど、と関心してしまったのです。なんというか、「どんぐり」みたいな話だなと。

 

わたしの勝手な推測なんですが、娘氏が醸し出していた雰囲気から私が感じたことは、「こどもは「どんぐり」っぽい感覚を持ってるんだな」というものでした。どんぐりみたいな、小さなツルンとした木の実から、椎や樫の大木になった姿はまったく想像がつかないけど、「自分以外のなにか」になろうなんて思わない、みたいな。

こどもって、元来そんな感じなのかもしれないな、と思ったのです。「フツーの娘ちゃん」という言葉に、確信と迫力があって、一体何を聞かれているのかわからない、、、という様子だったので、そんな風に感じたのだと思います。わたしの勝手な推測ですが、その調子でいってくれ、と思った次第です。

で、さらにいえば、いまの時代、どんぐり=椎とか、=樫のように、「たったひとつのなにか」じゃなくていいんじゃないかなと。最新の「どんぐり」は、複数のものになれる可能性を秘めた種なんじゃないかな、、、と、昨日の自転車トークで思いました。