◎にんげんのさきっちょのさきっちょ

ある冬の寒い日、娘氏(年中)と自転車に乗っていたら、突然話しかけられた。まあ、いつものことだ。
 
娘氏「ねえ、ママ。にんげんのさきっちょのさきっちょには、“くろいせん”みたいなものはあるの?」
 
わたし「さきっちょのさきっちょ?くろいせん?」
 
娘氏「そう。妖怪ウォッチのケイタとかは、さかいめみたいなところに、くろいせんみたいなものがあるでしょ?うち(自称)は、それが、にんげんにもあるのかどうか、さきっちょのさきっちょを、ずうっとみてるんだけど、わからないの」
 
わたし「ああ、なるほど。へえ、おもしろいことに気付いたね。アニメとかぬりえとかには、黒い線が必ず描いてあるもんね」
 
という会話をした。娘氏はなにしろ自転車が好きで、長距離の自転車移動をよくリクエストされるのだけど、後部座席でそんな時間を楽しんでいたのだと知って、週に一度の、片道40分の、修行のような自転車移動も、報われたような気がした。
 
その質問に対して、わたしは「黒い線」があるとも無いとも言っていないけれども、数日後に、「さきっちょのくろいせん」の話はどうなったのか聞いてみたら、
 
娘氏「ああ、それはもうかいけつしたからいいの。にんげんには無いってわかったの。でも、モノにはあるのかどうか、それがわかんないんだよねー」
 
と言っていた。わたしがその「黒い線の違和感」に気付いたのは、オトナになってからで、20代に「ひとり文化部活動」と称して、舞台や博物館、美術館の類に足繁く通った期間があり、そのときに初めて気付いたことだったので、娘氏の疑問の持ち方を、純粋にすごいなと思った。
 
娘氏は、ドラえもんを筆頭に、ジブリアニメ、ぬりえなど、2次元コンテンツはとても大好きで、たくさんたくさん触れている。親としては制御に困るほどに。笑
 
でも、もしそういったものを禁止していたら、「さきっちょのさきっちょのくろいせん」について違和感を持ったり、ギモンに感じたり、自分の頭で時間を掛けてあれこれ考えたりすることもなかっただろうと思う。そう考えると、対象がどんなものであれ「こども自身が夢中になる」ものには、必ず学びはあるのだなと、改めて思った。
 
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関連して、ひとつおもしろいな、と思ったこと。
 
これは私の仮説に過ぎないのだけど、妖怪ウォッチの映画が、娘氏の「さきっちょのさきっちょのくろいせん」という疑問を顕在化させたのではないか?と。娘氏が具体的な例にあげたのが、ケイタだったから、そう思ったわけです。一番大好きらしいドラえもんでも、最近ご執心のプリキュアでもなく、妖怪ウォッチのケイタを引き合いに「さきっちょのさきっちょのくろいせん」を説明した。(関係者のみなさま:映画を観に行くくらいですから、娘氏は妖怪ウォッチももちろん好きです^^)
 
しかも、この冬の「映画妖怪ウォッチ」は、「アニメの世界(当然二次元)」と「毛穴の世界(実写)」が交錯する、という企画。12月中旬に映画を観て、年末に「ねえ、ママ」の場面となったので、多少のタイムラグがあるのだけど、私の仮説では、日ごろから娘氏の脳内に小さく積み上がっていて、自分でも言語化できていなかったけど、ボーッと考えたり、なにげに観察したりしている「ふしぎのたね」のようなものを、あの映画がつないでくれたのかもな、と。
 
二次元のコンテンツとして慣れ親しんだものが実写になると、一定の違和感がある。それを同一コンテンツ内で行き来するとなれば、なおさらだ。同じモノのはずなのに、どうしてこんなに違って見えるのか、なにがどう違うのか、考えるともなく考える。そんな時間を、楽しんだんじゃないかな?と思った次第。