◎あいさつを哲学すると。

forbesjapan.com

 

Facebookのタイムラインに、尊敬する西條先生の記事が流れてきた(上のリンク)。記事の本論とはまったく違う文脈で恐縮なのだけれど、ひとつ発見があったので備忘録がてら書いてみる。

 

以下引用。

 

例えば、「挨拶」とは何か。ある人にはするけれど、皆にするわけではない。でも、挨拶がない国ってきっとない。登山をしているときには比較的挨拶をするけれど、道端で突然挨拶をしたら驚かれる場合もある。挨拶って何なのだろう?人はなぜ挨拶をするのだろう?

 

授業では、そうした問いを投げかけていました。そのとき得られた答えが、「相手の存在を肯定する最も簡単なサイン」というものでした。

 

そう考えると、職場で挨拶をしないというのは、いちばん簡単な存在承認すらしていない、ということになる。いわば存在否定をしているわけですから、そんな職場が、うまくいくわけがない、ということを論理的に理解できるようになります。

 

娘氏(5才ほやほやw)は、「挨拶」ができるときとできないときがある。

 

一方で「ありがとう」は、嬉しい気持ちや助かった体験などを同時に味わっているので「本質的な意味」がわかるらしく、だいたいにおいて言える。初対面だろうと、言語が違う相手であろうと。

 

でも、「挨拶」は出来る場合と出来ない場合があって、かねてより、どうも「挨拶」の「本質的な意味」が腑に落ちていないようにみえるなあ、と感じていた。もちろん、照れているとか、はずかしいとかもあるけど、そればかりでもなさそう、という感じ。

 

それで、冒頭の「挨拶とはなにか?」の真理に触れて、オトナとしてはとても腑に落ちるし、ある意味で、娘氏は自分なりの世界観のなかで、すでにこれを実践しているともいえるのだな、という発見をした。見知った人や大好きな人への挨拶は、こちらが驚くほどの快活さをみせるし、あるいはテンション低めの挨拶だったとしても、決して相手の存在を無視したりはしないのだから。それは、逆のことをされたらかなしい、ということが腑に落ちているからだろう。

 

一方で、挨拶できない場合のケースに当てはめて考えてみると、たしかに本当の意味で「相手の存在を肯定することの重要性」を理解するのは難しいだろうな、と思った。娘氏は、たとえばマンションのエレベーターでほんの少しの時間一緒になっただけの居住者が、娘氏に挨拶をしてくれなかったとしても、「ああ!自分の存在が否定されたわ!なんてこと!涙」なんて思わない。ましてや、初対面の人への警戒心が強い娘氏にとって、よく知らないオトナの「存在を肯定したい」、という欲求は育まれていないだろう。

 

娘氏が、全方位的に「挨拶の真理」に気づき、腹に落とすには、もう少し時間が掛かるのだろうな。つまり、なにかもっと切ない気持ちを味わう体験をしないと、わからないのかもしれないな、と個人的に大変腑に落ちた。

 

 

、、、とここまで書いて、西條先生なら「相手の存在を肯定する最も簡単なサイン」を幼児にもわかるように説明しようとしたら、どんな風になさるのだろう、、、と思ってみたり。。

 

実は、わたしはそれを、見出だせないでいる。

「好き/嫌い」「味方/敵」のような幼児の生活にも馴染んでいる語彙では説明できなくて、むしろミスリードしてしまう気がするのだ。娘氏にとっては、好き(あるいは味方)でも嫌い(あるいは敵)でもない、自分にとってニュートラルな存在で同時にまったく無関係でもない相手、への挨拶をこそ、謎なのだから。あるいは、娘氏の存在自体が素晴らしくてママはそれだけで嬉しい、ということは伝えているつもりだが、それと「挨拶」もどうも距離があって、むずかしい。。。


* 

とかく、挨拶は理屈抜きに、あるいは強行的に「こうするもんだ!」と教え込めばよいのだ、という考えもあるのはわかるし、それを否定するものではない。それくらい、挨拶ってだいじなことだと思うし。しかしながら、どうも娘氏の場合には、その手段が裏目に出ることはあっても、効果的ではなさそうなのである。みなさまからお叱りを受けながら、娘氏には地道に自らの実践を見せつつ、出来ることと出来ないことの両方を発見し、認めながら、長い目で見守りたい。イマココ

 

追記:

ちなみに、西條先生は「「構造構成主義」という、物事の本質をとらえる学問について研究(記事より引用)」なさっている方で、東日本大震災のときに、その研究者としての知見を惜しみなく発揮して「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げられた方です。ひとことで言うと、必要な人に必要な支援を必要な分だけ、届ける仕組みを作られたのです。すごい!その時の体験をまとめられたご著書が「チームの力 ー構造構成主義による“新”組織論ー」で、組織やシステムについて悩み多き方にはとてもオススメです。

 

今回の熊本の震災では、それらの教訓や叡智を集結して、より洗練した仕組みを「スマートサプライ」というプロジェクトでご提供なさっています。第一弾の支援は完了していますが、今後も続々とニーズが届くと思いますので、ご興味のある方はぜひ下記リンクをご覧くださいませ!

 

smart-supply.org