◎つながっている、について。

 
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祖母の一周忌で、実家に帰った。
金曜の夕方から土曜の夜までの弾丸だったけど、いろいろと濃い帰省となったので、簡単に記録。
 
 
>家系図
なぜか、母が「岡本家」の家系図を徹底的にしらべあげてくれていて、父方、母方のルーツを明らかにしてくれていた。母らしい丁寧な字で清書された、見事な家系図で、父方・母方双方に、7世代ほど遡っていた。スゲー!!!
 
その裏には大変な労力が費やされていることは一目瞭然だったので、動機やらプロセスやらを聞いてみると、「ご先祖さまの存在について、ちゃんとしておきたい」と思ったらしく、おともだちのご紹介で、家系図づくりについて教えてくれたり、一部代行してくれたりする“お教室”に通ったらしい。実は私も、三年前に父が亡くなり、昨年祖母が亡くなったことで、自分のルーツについて何かしらの情報収集をしておかないと分からなくなっちゃうな、、、と“ほんの少しだけ”思っていたので、母による大作にとても興味を持った。 
 
母は「仏さんのこと」をだいじにする人なので、先祖の供養とか、命日とかをとても大事にするし、お仏壇への水や食事、お花の上げ下げ、お線香をたいてのご挨拶など、文字通り一日も欠かさずに、必ずやる人。その流れで、ごくごく自然の興味というか、自分がなし遂げるべきこととしての義務感のようなものがあったらしい。
 
私的には、まず“教室”があることに驚いたので、そこで何を学んだのか聞いてみると、キリスト教の原罪の話になった。母はミッション系の女子校だったので、一定のキリスト教教育は受けている。神、天使、人間、禁断の実、原罪、夫婦、家族、兄弟げんか、、、その文脈の系譜として、家系図を教えるらしい。自分を起点にして、キリストまでつながっているのだ、という前提。それもすごい話だな、と素直に思った。そういった価値観が細胞に染み付いている人がいる、ということはアタマではわかっていたけれど、「自分の家系図」というリアルなアイテムを目の前にすると、インパクトが違った。
 
自分が存在するためには、生物学的な父と母が必須。決して、自分一人で存在(誕生)することは出来ないという事実と、先祖の存在。そのつながり。宇宙の果てと同じように、そのつながりは延々と追いかけることができるはずで、その行き着く先はどうなっているのか。原点があってもなくても、あまりそのこと自体には興味がないのだけど、「自分一人では存在できず、延々とつながる関係性がある」という事実について、改めて考えさせられた。解はなし。
 
 
>曽祖父の写真、祖父の写真。
曽祖父が、実業家で成功した人だとは聞いていた。財を成して日本に帰り、地元の神社に大きい鳥居を寄贈したとか、そんな感じの人。母によって、その写真がたくさん焼き増しされていたので、もらってきた。前列中央の白いスーツを着た人が曽祖父。パナマって、どこだ???祖父は、パナマで生まれている。もしそのまま帰国しなかったら、わたしは生まれていない。
 
そして、祖父の写真は、軍服を着ていた。実は、その軍服の一部を、わたしはリアルに見たことがある。それらを小学生だった私に見せてくれたとき、寡黙な祖父は一体なんと言っていたか。。思い出せない。

小学校の宿題で、戦争のことを調べてくる、というのがあった。まずは、幼少期に戦争を体験している父にヒアリングして、いろいろ聞いた。具体的な戦争体験のシビアな話もあったし、敵国語が禁止されて、カレーライスは「辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)」と言ったとかいう、こどもなりに興味を持ちやすい話題もあった。
 
その流れで、父が、祖父は戦争に行っているから、話を聞いてみてはどうか?と、クルマで20分ほどの母の実家に連れて行ってくれた。夏休みではななかったはずだから、フツーに平日だったのだろうか?(謎) 孫の宿題とあって、押し入れの奥から、いろいろ出してくれた。ゲートルという「丈夫で大きな包帯」のようなものがあって、それを靴下のように膝下に巻きつけるという話を聞いて、「意味がわからん」と思ったのを覚えている。水筒もあった。当時の私には、この水筒が唯一の水分だったことのリアリティは、まったく想像できなかった。祖父は、どんな思いで、あれらを取っておいたのだろうか。祖父は、それらを前に、わたしに何を伝えてくれたんだっけ?ゲートルの衝撃にかき消されて、忘れてしまった。
 

 写真を世代で追えば、次は母となり、私となり、娘氏となる。母の写真は、どんな写真になるのだろうか?それは何を物語る?そして、私は?

 

>お盆と神話

祖母の一周忌での帰省だったので、お寺さんで読経などしてもらう。もろもろの法事が終わって、お茶の時間になると、いつも、お坊さんが家族に混じっていろんな話をしてくれるのだけど、今回の話題を要約すると、「人間が社会的な動物であり、決して、1人では生きられない」という話だった。ちょうど「人の関係性と、その依存関係」について深く考えるプロジェクトの真っ最中だったので、刺さった。そして、プロジェクトメンバーが「このプロジェクトの思想は仏教的だ」と言っていたのを思い出す。

 

また、お盆という風習や、神話についても少々。「日本では、お盆にご先祖様が帰ってくる、ということになっているけれども、本当のところは、私(お坊さん)にもわからない。でも、ご先祖様が帰ってきていると思って、振る舞うこと、に意味がある」と。「そんな国は、そうそうないですよ。なかなかいい国だと思います」と。どういうことなのか、ちょっと考えてみたい。

 

あの世、この世。かつては天国も地獄も、“この世”と“地続き”で自由に行き来できたのが、出来なくなった、という神話の話。神話の正当性や、信憑性は一旦横において、こういう、常識的な考え方からかなりズラされる視点を投げ込まれることは、個人的に好きなので、いろいろ考えることになった。人間が一般的に持っているとされる「死」への恐怖心は、何のためにあるのだろうか?もし本当に地続きだったなら、そういった恐怖は生まれなかった(必要なかった)はず。「死」への恐怖があることで、何がバランスしているのだろうか?

 

夏風邪で休んでいたとき、娘氏が「しむ(しぬ)のがこわい」と言った。わたしはこどもの頃から、あまり「しぬのがこわい」と思ったことがなくて、リアルにはその恐怖をわかってあげられないのだけれども、「この風邪でしんじゃうことはないから安心して大丈夫だよ」と言って、抱っこした。娘氏は、ひとまず安心した様子。私にとっての死への恐怖は、夫氏や娘氏といった、かけがえのない存在のソレ、こそが恐怖であり、自分自身の死ではない。この(自分自身の死に対する)感覚は、私のなかでは、初産の妊婦にとっての陣痛への恐怖と同じで、1)自分自身としては未体験ゾーンではあるが、2)どうせ避けられないとわかっていること、3)陣痛があることに意味があり無いと逆に困る事案であること(≒死なない方が怖い)、4)すでに大多数の人が体験済みのこと、であるからして、まあ多少のドキドキはあるけれども「考えても仕方ない案件」かつ「まあナントカナル案件」として処理されている。大雑把すぎるのだろうか?

 

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結論のない、夏の日の記録。