◎昨日と今日

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昨日今日と、とても不思議な日々だった。
 
昨日、朝イチから重要な会議があったのだが、とても生産的な時間だった。フォーカスが合う。ものごとが前に進む。議論も進む。気持ちがいい。
 
仕事の合間に、起業を目論んでいるオカン仲間が興味を持ちそうな記事をFacebookに投稿したら、すぐに当人からコメントがついた。あいにく平日夜の開催で、ワーキングマザーにはツライ設定なのだが、偶然にも家が近所だから、オカン仲間のこどもたちをうちで預かって、その催しに参加してはどうか?と提案すると、トントン拍子で話が決まる。以前からやりたかったことが、数年越しに実現することになった。オフィスを共にしているオカン仲間たちと、お互いに興味があるけどなかなか参加できない平日夜のセミナー等に、片方がこどもを預かって、片方が参加して、参加した人が後日その内容をシェアする、という助けあい。構想だけはあったけど、なかなか実現しなかったものが、トントンと決まった気持ちよさ。
 
一方、コソダテ方面においては、月曜日に、娘氏を叱った出来事が、自分のなかで消化できずに悶々としていた。木曜日になっても、自分のなかに未完了感が残っている。でも、この悶々とする感覚には重大なヒントが隠れている気がして、何かを掴めそうな予感がある。既視感があった。ちょうど1年半前に、コソダテに迷走し始めた、最初のドミノ。そのドミノに、一周まわって螺旋状に進化した自分が、もう一度出会っているような感じ。目の前で展開されている現象に、デジャブーを感じるけれど、見える世界は全然違う。なるほど、あの時起こったことは、こういうことだったのか!と手に取るようにわかり、肚に落ちる。でも、まだハマらないパーツがある。ふと思い立って、近所のオカン仲間に、会いたいとメッセを送る。間髪を入れずにOKをもらって、奇跡的に金曜(つまり今日)のランチに会えることになった。娘氏との間に起こった現象に対して、ある視点から読み解いてみたい、と思っていた。感情の知性や、NVCや、LPCや、そういった方向から光を当てたら、どんな物語が隠れているのだろうか。でも、ひとりで悶々と考えていても抜けられそうにない。そんな時に、その「光の当て方」を共有できて、話し相手になってくれそうなオカン仲間が、近所にいるというしあわせ。そして、奇跡的にすぐに会えた幸運。
 
顧客先での会議を終えて、そんなアポを入れつつオフィスに戻ると、珍しく夫氏がいた。どうやら、ちょっと時間があるらしい。それで、オフィスの隅で、月曜日の娘氏との出来事をシェア。こんなスキマ時間が与えられた偶然は、奇跡的だなと思った。だって、このタイミングで夫氏にこの話をするなんて、まったく予定していなかったのだけれど、確かに最適なタイミングに思えたから。既視感を含めて、一通り報告したあとで、まだ消化できていないけど何か掴めそうだからもうちょっと突っ込んで因数分解してみたい、と伝えたら、めんどくさい人だね、と笑われたけど、で、ほんとその通りで笑っちゃうんだけど、まあその感じがちょうどいい。まず、現象に対する「私の認知」に対して、現象それ自体と「私の認知」のあいだにある乖離の存在を共有できること。夫氏のなかでは、その乖離を埋めるものはすでに見えているっぽいんだけど、無理にその乖離を埋めようとせずに、自分で埋めたいならそうすれば、と放っといてくれる感じが心地よい。ほんと、夫がこの人でよかった。笑
 
で、次のミーティングが、これまたおもしろかった。未知を歩む手探り感がたまらない。こういう仕事、久しぶりだな。ここ数年は「過去に蓄積してきた資産」の範囲内で仕事をしてきた気がする。あたらしい荒野に出て行く感じ。そして、そこには凸凹してるけど、いい感じに組み合わさったチームがある。実にたのしい。
 
そろそろ次の仕事に向かおうと思ったら、オフィスを共にするオカン仲間(前述とは別の人)の娘ちゃん(Mちゃん)がいた。うちの娘氏と仲良し!なんという偶然か、このあと、娘氏も夫氏に連れられてオフィスに来ることになっていたのだ!夜仕事のスケジュール調整には気を配っているのだが、うっかりして夫婦共に夜に仕事が入ってしまい、夫氏の仕事に娘氏を同行してもらうことになっていた。オフィスにMちゃんがいるなんて知ったら、娘氏がよろこぶことは間違いない。本当は帰る予定だったMちゃんも「娘氏とあそびたい!」と言ってくれて、オカン仲間もその気持ちをくんでくれて、残ってくれることになった。なんという偶然だろう。オフィス主催のイベントに同伴することは多いけど、両家ともに子連れ仕事はめったにしないのに、同じ日の同じ時間帯にオフィスに居るなんて。ほんと、しあわせな偶然。
 
そんなことをしているうちに、夫氏が娘氏を連れて現れた。本当は、娘氏に会えずに次の仕事に向かう予定だったのに、オフィスの扉が開いたと思ったら娘氏が入ってきて、その視界の目の前にちょうど私が立っている、という絶妙なタイミング。まるで、自宅の玄関で娘氏を迎え入れたみたい。笑顔でおかえりの抱っこをして、娘氏に見送られて仕事に向かうことになった。
 
昨日最後の仕事は、研修講師。ひとしきり熱弁をふるったあと、名刺交換の最後のひとりの方から、クロスフィールズの理事の方ですよね、と声を掛けていただいた。なんと、留職プログラムを導入してくださっている顧客企業の担当者の方だったのだ!わたしはすべての顧客のすべての留職ケースを知っているわけではないけれど、こちらの顧客の留職者は、私の役割として関わっている広報マターでとてもお世話になった方だったので、私もそのケースをとても具体的に存じ上げていたために、話も盛り上がる。留職プログラムの価値を高く評価してくださり、社内でどのような波及効果があったかを教えてくださった。本当に嬉しい。
 
 
昨日は、そんな調子で、ウソみたいに歯車が噛み合いまくった一日だった。
 
ほんとうは、毎日がそうなのかもしれないな、、、なんて思っていたら、今日は、イギリスのEU離脱国民投票や、スコットランドの独立問題や、日本株の暴落や、世界中がものすごい勢いて動いている。
 
目の前に大きなグリーンリースが吊るされていて、あざなえる縄のごとく絡みあうリースに、全体はつながっている、と諭された気分。そして、この複雑に絡み合い絶妙なバランスを保っているリースは、全体を解体したら、自分に見えている部分がほんのわずかなことに気付く。その見えている部分からの評価判断がいかに危ういか。人生万事塞翁が馬。自分に見える視野の狭さを認め、見えない視野に己をひらくことを忘れずに。