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◎コソダテに関する、娘氏からのフィードバックのようなもの。

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(帰り道、「走りたい!」というので公園に寄ると、まあ私も免れるはずがなく。芝生だったので、裸足になったら気持ちよかった。ときどき、足元を見つめる時間は必要かも。)

最近、ふとした日常の、どうってことないシーンで、娘氏(5才・年中)が発した何気ない言葉や態度に、報われたような気持ちになったことがあったので、記録しておく。

 

1)ごっご遊びにて。

親子で“ごっご遊び”に興じていたときのこと。シーン設定から配役まで、娘氏主導で決定されるのがデフォルトで、この日はお寿司屋さんだった。夫氏がお客さんで、娘氏と私がお店の人。かつ、娘氏と私は親子で、娘氏が母親役、私が娘役という設定らしかった。わたしは、ごっご遊びの最中の娘氏の何気ない発言に、とても報われたような気持ちになった。

 

娘氏(母親役)は、お客さんである夫氏に呼ばれたので、まずは話を聞きに行った。内容は、私(娘役)への依頼事項だったらしい。すると、娘氏(母親役)は「おはなしはわかりました。それは、ムスメにきいてみなければわかりませんので、ちょっとおまちください」と言ったのである。

 

母親に伝えられたムスメへの依頼事項に対して、母親が判断を代行しない、という姿が、本人にとってアタリマエのこととして表出されていたように感じて、私はとても報われたような気持ちになった。それは、娘氏が0歳時のときから、私自身が肝に銘じてきたことだったから。日常の、本当に小さな小さなワンシーンの積み重ねでしかない。結果として、自己主張が強すぎる子ども(苦笑)になっている気がしたこともあって、これまでのコソダテが根本的に間違っていた可能性を内省したこともあったけれど、このお寿司屋さんごっこで「ああ、これで良かったんだな…」としみじみ思った。自分で判断できる、ということも大事だけど、他者の判断を尊重できる、ということも大事。それが出来るなら、大丈夫だね。

 

2)ヒタスラ待つ、について。

最近、仕事が忙しくて、夕食後にパソコンに向かうことがある。娘氏が一人遊びを始めたのを見計らって、その脇でPCを開く。家では、娘氏が起きている時間帯には仕事をしないようにしてきたので、娘氏は、ママはよっぽど仕事が忙しいらしい、と思ってくれているのかも?、、、しれない。

 

気がつくと、いつの間にか一人遊びは終わっていて、ごっご遊びに誘いたい雰囲気を醸し出している娘氏。キリのいいところまで終わらせたい私は、話し相手をしながらも、仕事の手を止められない。結局、この日は1時間も待たせることになったのだが、娘氏は怒ることもなく、急かすこともなく「おしごとがおわったら、おうちごっこしよう!」と待っていてくれた。その間、何度もこちらの様子を見て、少しだけ誘う。仕事のジャマにならない程度のセリフを与えられたりして、娘氏のなかでは、少しずつごっご遊びは始まっているらしいが(単に我慢するだけでなく、自分のニーズも叶えつつ、折り合いをつけている)、仕事が終わるまでの間は、私の関与を最小限にしながら、待っていてくれた。それも、2日連続で。(さすがに、3日目は仕事をしないようにした;苦笑)

 

実は、この「待つ」ということも、0歳の時からずっと、修行のようにヒタスラ心掛けてきたことだった。もちろん100%できていたとはとても言えないけど、本人にとってやりたいことや、やるべきことは、出来るだけ本人のペースを尊重して、ヒタスラ待つ、という役割を自分に課してきた。思い掛けず長丁場になってしまう場合も、途中で何度か声を掛けたり、こちらの都合や希望を伝えたりもするが、状況が許す限りにおいて、基本的には急かさない、、、ように心掛けたつもり。。。

 

そしてこの日、仕事に向かう私に対して、娘氏がそれをやってくれたような、、、気がした。都合のいい思い込みかもしれないけど、これまで、修行のように「ヒタスラ待つ」という役割を自分に課してきたことが、報われたような気持ちになった。

 

同時に、「ママが仕事をする」ということが、娘氏にとってマイナスなイメージではなく、応援するもの・サポートするもの、として扱ってもらえたような気がして、これまた報われたような気持ちになった。まあ、夕食後の時間に仕事を持ち込まなくていいようにマネジメントしろよ、という話ではあるんで、“家残業”は自粛しようと思ってますが。苦笑

 

 

どちらも、娘氏の言動に対する私の勝手な解釈で、本人にどんな意図があったのかは、きっと一生わからないのですが、少なくとも、報われたような気持ちになれた、というのは励みになる。有り難いフィードバックだったなあ、と思います。