◎5才の誕生日は、こんな日でした。

f:id:okamoto4433:20160421130823j:plain

 

娘氏が、5才になった。

 

いつからだろう。イベントをイベントとして扱うことが苦手になった。特別なものとして扱うのではなく、日常の延長線上においておきたいような気持ち。日常のありがたさを知ったのだろうか。

 

誕生日プレゼントは用意したけど、キャンプの帰りにアウトレットで一緒に選んだ巨大レゴは包装紙で包まれてもおらず(アウトレットではプレゼントラッピングはしてくれないからね。笑)、数日前から「ぜったいに箱は開けないから、見たい!持ってきていい?」というのでリビングにずっと置いてあった。本当はラッピングをしてあげようと思っていたけど、そんなわけですでにリビングにあるし、娘氏は食い入るように箱をながめ、寝転がっては抱きしめているしで(笑、結局そのまま。当日の朝、特にプレゼント贈呈の儀式もなく、娘氏は「もうやっていいよね!」と箱を開けた。

 

夕食もいつもと一緒。ケーキだけ用意して、夫氏の帰宅を待ってささやかなお祝い。それが、偶然にもちょうど生まれた時間と重なって、当時の写真を見たりする。

 

朝のあいさつだけは、特別だったかな。「おはよう」よりもさきに「おたんじょうびおめでとう!5さいのおねえさん!」と伝えた。寝転んだまま「ありがとう。もう4さいもおわりだね」とうれしそうに、でも落ち着いた口調で、娘氏が言った。

 

夕食後のひととき、ふと、ああこれはウチっぽい風景なのかな、と思った瞬間があった。わたしが食卓で、娘氏の誕生日に始めようと取り寄せておいたプランジャパンの寄付のパンフレットを読みながら、この世界の姿をどう伝えたら娘氏に伝わるだろうかと考えていたはずが、いつの間にか寄付プログラムの構成やパンフレットの作り方、アウトカムの指標の取り方などを分析モードで読み込んでいる自分に気づいたとき、ふと我に返ってあたりを見渡すと、娘氏は誕生日プレゼントのレゴを黙々と一生懸命やっていて、夫氏はその日届いたばかりの本をソファに寝そべりながら読んでいる。それぞれ勝手に没頭して、満足してた。笑

 

ひとところで、お互いの存在を感じて安心などを味わいつつも、それぞれの世界を生きている。そんな感じで行こう。わたしもわたしを生きる。夫氏も夫氏を生きる。娘氏も娘氏を生きる。お互いにお互いの安全地帯となって支えつつ、それぞれを生きよう。・・・まさか、そんなことを噛み締めるとは思わなかったな。

 

 

5さいのたんじょうびおめでとう。

ほんとうにおめでとう。

それから、ありがとう。

わたしは、あなたとかぞくであることが、ほんとうにうれしいよ。

きっとパパもそうだよ。