◎かなしいきもち、を学ぶには。

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※写真は、保育園の年長さんとのお別れ遠足で、縦割りグループの年長さんからもらったバッチ(左から2つめ)が嬉しかったらしく、保育園にお迎えに行ったら「パパとママのぶんもつくったよ!!」と真っ先に見せてくれた品々。一生懸命まねをして、それらしいものに仕立てていて、おどろきました!
 
 
年少さんのおわりころから、保育園であったことを、よく話してくれるようになった。
楽しかったことよりも、そうでなかった経験を、吐露してくれる。
 
○○ちゃん/くんが、□□□って言ったんだよ。
どうして、そんな、かなしいきもちになることを、いっちゃうんだろう。
 
もちろん、娘氏(年少)が「かなしい気持ちになること」を言っちゃう本人になることもあるはずで、言葉が早かったぶん、その方が多いのかもしれない。いや、きっとそうだ(苦笑。 だから、こうして自分自身が揉まれる体験は、本当にありがたい。
 
で、「かなしい気持ち」になったシーンの描写を聞くと、必ずしも自分に対して向けられた言葉ではなく、お友達がお友達に言った言葉で、自分はそこに居合わせただけ、という場合もある。少なくとも、本人の説明によれば。でも、大抵は目を赤くして、涙こそ流さないが、とてもかなしそうに目を潤ませる。わたしは、ただ受け止めるに徹する。
 
そっか、かなしい気持ちになったんだね。
悲しかったね。
教えてくれて、ありがとう。
 
抱っこしながら様子をみつつ、
 
○○ちゃん/くんは、それを言ったらかなしい気持ちになるって、知らなかったんじゃないかな?
娘ちゃんは、そんな風に言われたらかなしい気持ちになっちゃう、ってわかったんだね。
そしたら、娘ちゃんはそういう風に、言わないようにしたらいいよね。
 
娘氏は何もいわない。うなずくこともない。プラスにもマイナスにも感情を波立てている様子もない。この常套句は、おともだちとのコミュニケーションが始まった1年半前から言い続けているけど、これでいいのだろうか???
 
そんなやりとりが何度かあって、ある日、自分自信が悲しい気持ちになったシーンが吐露された。目は赤く潤んでいて、少しだけ涙が流れる。わたしは他に方法を知らないから、いつもと同じやりとり。ただ、悲しかったね、という気持ちを受け止めよう。「自分が言われてヤだったことは言わないように」とか、そういう教訓じみたことも言わずに、ただ受け止めよう。。
 
しばらくして、すっかり別の時間が流れたあとで、なんの脈絡もなく娘氏が言った。
 
○○ちゃん/くんは、かなしい気持ちになることを言ったらいけない、って知らなかったんだね。
○○ちゃん/くんのおかあさんが、おしえてあげなかったんだね。
○○ちゃん/くんは、わるくないね。
 
・・・展開がナナメ上すぎて目が点になりながら、かろうじて「そ、そうかもしれないね、、、」という言葉が口をつく。。
 
本人のなかでは納得しているようで、娘氏の悲しい気持ちは、ポジティブに整理されたっぽい、という気配を感じる。お友達のおかあさんの登場が、私的にはナナメ上すぎて消化しきれず戸惑ったが、でもまあ、おかあさんに対する敵意も、責める気持ちも感じられず、大好きなおともだちのお母さんとして相変わらず好きな人っぽいし、ただ本人のなかの論理的帰結として捉えているっぽいから問題ないだろう、、とひとまず自分の思考を落ち着かせて、本筋のところで、お友達をきらいになったりしないでよかった、と安堵した。
 
そう、あなたがそうであるように、お友達にも悪意はない。
あなたのことを嫌いなわけでもない。
大好きだけど、NGワードを言っちゃうこともあるよね。
そのことに、自分で気付けたことは、すごいことだね。
 
ーーーと思いつつ、胸にしまう。
わたしはそんなこと、こどものころには気づかなかったよ。
ようやく気付いたのは、オトナになってからだったかもしれないな。
 
 
夫が帰宅するころになって、やっぱり「おかあさんの登場」が気になって消化できなかったので(苦笑、娘氏との会話を再現しつつ、自分の見解も不安も表明せずに夫氏に報告してみる。夫氏がいうには、
 
・娘氏は、あいかわらず論理的である
・娘氏は、自分はママにおしえてもらった、と思っている
・ママにとっては暖簾に腕押しのようだったかもしれないが、これまで言ってきた常套句はちゃんと伝わっており、無駄ではなかったね、よかったね
 
という返事。ああ、そういうことなのか。。。
 
 
考えてみれば、、、
 
娘氏にとって、「かなしい気持ち」を学べる環境がようやく整った、ということなのかもしれない。ハッキリ言って、娘氏がお友達に対して不適切な発言をする方が多かったはずだ。だから、わたしは一年半前から、悩んできたのだから。でもそれは、彼女にとって必要な環境が整っていなかった、ということだったのかもしれないなあ(娘氏にとっては、同じクラスのおともだちの多くが、日常的に日本語でコミュニケーションするようになった、という環境が整ったことが最後のパーツと推測してみた次第)。
 
昨年の春に年少さんになってからは、縦割り保育の時間が増えたので、年中さんや年長さんの言動によって「かなしい気持ち」になって帰ってきたことはある。私としては、ありがたい話で、いい体験だと思っていた。いまでもそう思っているし、今後もたくさん揉まれて欲しいと思うけど、(同じクラスの)おともだち同志で体験するそれとは異質なのかもしれない、という仮説をおいてみる。
 
娘氏は、とにかく保育園が好きで、それはお友達や先生たちが大好きだから。0才から一緒のおともだちは、もう彼女の人生の大半を一緒に過ごしているし、1才児、2才児クラスからのおともだちのことだって大好きだ。で、そこには、あつい信頼が育まれている。そのことは、過去投稿の「お雛様の徒然」でわかったことだけど、その信頼は、年中さんや年長さんとの間のそれとは、質が違うのかもしれない。
 
だから、同じクラスのおともだちとのやりとりでは、本人のなかにうまれる「かなしい気持ち」も切実さが違う。だからこそ、「かなしい」の意味が身に沁みる。でも同時に、たとえ「かなしい気持ち」になる出来事があったとしても、おともだちとの間にすでに育まれているたしかな信頼が、頑丈なバンパーのように、あるいはふわっふわのクッションのように、娘氏を守ってくれているのではないだろうか?
 
娘氏とおともだちの間には、何層にも重ねられた大好きな気持ちや、仲間意識や、信頼がある。そして、それが一方通行のものではなく、双方に行き交うもので、彼女自身がたくさんの信頼や、大好きな気持ちを受け取っている。だから、おともだちとの間で「かなしい気持ち」になる出来事があっても、不信や悪意のまえに、大好きや信頼が先に立つ。結果として、「かなしい気持ち」が娘氏の心の奥底を直撃することはなく、「かなしい気持ち」をポジティブに消化するだけの緩衝材になってくれているのではないだろうか?たとえ、おともだちに「かなしい気持ち」になることを言われたとしても、そのおともだちが、優しい、楽しい、信頼に足る相手だと知っている。だから、前述のような論理展開が可能となり、ポジティブに消化できたのではないか?「おともだちは、「かなしい気持ち」になることを言っちゃったけど、知らなかったのだから仕方ない。おともだちは、わるくない」と。
 
年中さんや年長さんとは、その「十分な双方向の信頼」がないうちに、チカラによってやりこめられてしまう。この体験も必要で、意味があり、ありがたいことに変わりはないが、その場合は、学べるポイントが変わってくるのかもしれない。まだたしかな信頼を育めていない相手にチカラで押さえつけられたら、悲しいし、悔しい。もしかしたら、恐怖を感じるかもしれない。これは「かなしい気持ちになることを、他者に言ってはいけない」とは別の学習なのかもしれないなあ。まずは、悲しさや、悔しさを感じること。その無念さを味わうこと。そして、もし無念な気持ちがあるとしたら、それを向けていいのは、その無念をもたらした相手だけだ、ということ。自分に向けてもダメだし、ましてや自分より弱い相手をチカラでやりこめることで代替してはいけない。もし恐怖を覚えるのなら、身を守る術を学ぶ必要がある。
 
というわけで、「かなしい気持ちになることを、他者に言ってはいけない」ということを学ぶには、「十分な双方向の信頼」がある「対等な相手」がいる、ということが、必要な環境なのかもしれないなあ、と思った次第。
 
娘氏にとっても、わかるとできるの間には大きな谷があるのであって、まだまだ「かなしい気持ち」になることを言っちゃうこともあるだろうけど、まあ、わたしも含めてオトナにとっても難しいことだから、ゆっくり行こうぜ、娘氏よ。
 
 
ともだち同士の社会性というのは、どうやら、年中さんからの発達課題らしい。年少さんまでは、毎日遊ぶ相手が違うことが多く、年中さんからは、遊び相手が固定してくる傾向があるという。そうだとしたら、娘氏にとっては、「ともだち同士の社会性」を学ぶ前に「ともだち同士の信頼」を学べたことは、大きかったのではないだろうか?
 
一般的には、こどもの順応性は高い、という。たしかにそうだ。でも、娘氏のように「挨拶よりも観察派」で、自分の安全や安心に対して、自分が納得するまで観察しないとGOを出さないタイプの場合、この「バンパーのような、クッションのようなもの」の存在はとても大きいのではないか、と思った。
 
この春、0才から保育園に預けることを心配するおかあさんもいるかもしれない。でも、少なくとも娘氏の場合は、0才児クラスから通ったからこそ得られたものがあった、といえそうなので、個人的には「心配いらないよ、あなたがお子さんの保育環境として最適だと思える環境を選んでいるのなら、むしろプラスだよ」とお伝えしたい心持ち。