◎およめさんになってっていわれたの、からの徒然2つ。
4才(年少)の雛祭りの日の記録。
保育園からの帰り道、娘氏がおもむろに、「Aくんにね、およめさんになって、っていわれたの」と言う。特にテンション高くうれしそうに言うでもなく、いつもと同じような、保育園での出来事として、といった淡々とした風情。
どうも、雛飾りの様子が、お内裏様(=おうじさま)とお雛様(=おひめさま)の結婚式である、という理解をしているらしく、保育園で冒頭の会話になったらしい。
娘氏がいうには、くわえてBくんにもお嫁さんになって欲しいといわれ、娘氏はどちらでもよかったので、ジャンケンをしてもらったと。それで、負けちゃったほうがかわいそうだから、ジャンケンに負けたAくんのおよめさんになることにした、とのこと。
真偽のほどは確認のすべがないが、少なくとも娘氏の脳内ワールドにはそんな物語がある、ということがわかった。
それで、「娘ちゃんは、だれのおよめさんでもいいの?」と聞いてみた。
「うん、しんじてるから。Aくんでも、Bくんでもいいの。
Zほいくえんの子たちなら、しんじてるから、だいじょうぶ」
と即答したので、驚いた。それで、
「そっかー。娘ちゃんは、パパのことも信じてるでしょ?
パパのお嫁さんにはならないの?」と聞いてみる。
「パパのおよめさんにはならないよ」と即答した娘氏に、
「どうして?」と聞いてみると、
「だって、娘ちゃんがおとなになったら、パパはおじいちゃんでしょ。
それはちょっともったいないかな。
いっしょに大きくなれる子と、けっこんするのがいいよ」と娘氏。
娘氏の日常が「しんじてるから、だいじょうぶ」と言い切れる仲間とともにあることがわかって、涙が出るほどうれしかったし、
そのうえ結婚を、
・信じている人とするもの
・一緒に大きくなる(成長する)もの
と認識しているんだなと思って、
どうかそのまま、その感覚を大切に大きくなってね、と願った雛祭りでした。
もし、日常的にみる「結婚したふたり」の姿から、そんな風に感じてくれていたのなら嬉しいけど、たしかに、結婚に必要なのはその2つで十分で、それ以外はなにひとついらないのではないか、と教えられた気分です。
ーーー
そんな話の流れで「信じていても、女の子は王子様になれないから、結婚できないのでは?」という主旨のコメントを娘氏がした。断定系というよりも、疑問形で。そこで、
「そうでもないよ。女の子同士でも、男の子同士でも、結婚している人はいるし、娘ちゃんが言うように、信じていて、一緒に大きくなれる人だったら、だいじょうぶだよ」と伝えてみる。
娘氏は、ハラオチはしていない様子だが、特に反論もせず、ふーん、と一旦は受け止めた様子で、対話は終了。
そこで、ふと立ち止まって考えてみるに。。。
プリンセス系をはじめとする各種の「物語」(お雛様を含む)によって、結婚=王子様とお姫様のカップリング=男女、という刷り込みが先にあって、娘氏の「男女の結婚」に関する認識は、それ以上でも、以下でもないっぽい。
そういえば、大好きな絵本のひとつである「しろいうさぎとくろいうさぎ」も、結婚をモチーフにした物語だけど、オスメスのうさぎとして描かれているなあ、なんてことを思い出したりして、改めて「常識」の圧力を自覚した一幕となった。
「本人の内側からの気持ち」よりも先に「画一的な情報」は容赦なく入ってきて、それでもまだ「本人の気持ち(感じ方)」はニュートラルな状態にいるっぽいけど、これからずっと、一定量の「画一的な情報」にさらされ続けたら、「内側の気持ち」が「画一的な情報」に支配されてしまう、のかもしれない。(このあたりが、夫氏の言う、自分と他人の区別は難しい、ということなのだろう。脳の仕組みからして、きっと難しいことなのだ。)
「常識」によって、社会から降り注いでくる「情報量」に比べれば、家庭で提供できる環境なんて「量」では絶対にかなわないけど、それでも、「常識」はうたがっていいんだ、ということや、「常識」は変えられる、ということをちゃんと伝えていきたいし、その時期は、もう始まっているのだな、と改めて実感した。
それで、そういった性差なく、「お互いに信頼しているふたり」が共に生きていく絵本、をさがさなくては、と思っているのがいま。「信頼しあっている人々」の物語はあると思うけど(仲間とか)、今回のテーマでいえば、ふたり、であることが大事だと思う。
性差に関係なく、いろいろな組み合わせがあっていいんだよ、ってことを伝えたい。イマココ。
※ゆるぼ1:なにかオススメの絵本があったら、教えてください!
※ゆるぼ2:こういうの、川辺さんの「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」で扱ってたりしないかな?、とふと思うなど。笑