◎車椅子とバナナと、コミュニケーションの密度。

f:id:okamoto4433:20151214155656j:image
 

昨日、スタバで娘氏が絵を描くのを見守っていたら、大きなカラダの白人男性が車椅子で入店してきた。席を見つけたようだったので、椅子をどかすのを手伝おうかと立ち上がったが、別の女性が手を貸したのでそのまま座ったわたし。娘氏は、完全に「車椅子のでっかいおじさん」が気になっている。わたしになにか質問するでもなく、ただただ見つめている。

 
おじさんはその様子に気づいたのかどうかわからないけど、席を確保して注文のためにカウンターに向かう通りすがりで、娘氏に笑顔で挨拶してくれた。英語だったし、想定外だったしで、娘氏は返事はできなかったけど、コクンとうなづいた。
 
しばらくして、バナナを食べていたそのおじさんが、ゴミ箱になにかを捨てに行った通りすがりに、娘氏に「どうぞ」ととても丁寧な英語で話し掛けつつ新しいバナナをくれた。娘氏は、驚いただろうけど、ちゃんと受け取って、照れることなく「ありがとう」、と言った。
 
見知らぬ人とのやりとりを超警戒するタイプで「挨拶よりも観察」という娘氏が、わたしを振り返りもせず、照れもせずに受け取って、しっかりした口調で「ありがとう」と言ったことに、わたしはおどろいた。
 
その後、別にうれしそうにするでもなく、すぐさま食べるわけでもない。でも「バックには入れずにテーブルの上に出しておきたい」と言った。しばらくしてバナナを食べ始めるも、ひとくちふたくち食べたところで出発の時間に。「つづきはあとにしようか」という私からのリクエストを素直に聞き入れてくれて、目的地に向かう。我が強い娘氏が、本人の意向に沿わないリクエストを受け入れてくれるのは、心が充実しているときだけである。
 
スタバを出て、おじさんの姿が見えなくなったら、娘氏が心なしか嬉しそうにしている。電車は混んでいて座れなかった。間もなく「バナナのつづきをたべたい」という。電車の中での立ち食いは本来咎めるべきだろうが、娘氏がバナナを通じて受け取ろうとしている何かがありそうだったので、渡した(そもそも、娘氏は電車のなかで立ち食いすることは望ましくないことだと知っているのだし)。言葉すくなに、ひとくちずつ食べる。あとひとくち、というところで目的地に到着してしまうと、また文句も言わずに食べるのをやめた。
 
「続きは家で食べる」と娘氏がいうので、数時間後の帰宅時には傷んでしまうことを伝えると、改札をでたところで、人混みを避けて残りを食べた。どちらかと言うと少食タイプで、家でバナナをまるごと1本食べきったことなど記憶にない。おじさんから、バナナじゃないなにかを受け取っていて、それを文字通り腹に落としたかのようだった。
 
おじさんについて娘氏がわたしに言ったことは、「娘ちゃんたちはあるくけど、あのおじさんは、くるまいすがひつようなんだね」ということと、「なんでバナナくれたんだろうね」ということだけだった。

もしかしたら、娘氏にはコミュニケーションの密度が見えるのだろうか?と思った。
 
いつも「挨拶より観察型」だけど、密度のある、受け取るべきメッセージは、照れずにちゃんと受け取れるんだな。でも、密度のないコミュニケーションは、何をどう受け取ったらいいか、分からないのかもしれない。
 
もしそういうことなら、そのままでいい。筋金入りの内向型で、はげしく「挨拶より観察型」だけど、そういうことなら心配いらないな、と思った昼下がり。

追記:
英語でも、たった一言でも、発信者に確信があり、受信者を尊重していれば、受け取れるんだなあと。おじさんも、信念と柔軟さがある感じで、娘氏のことを全然こども扱いしてなくて(まあバナナはこども向けではあるがw、人として尊重している感じが伝わってきたので)、なんかふたりともスゲーなと思いました。