◎つながっている、について。
小学校の宿題で、戦争のことを調べてくる、というのがあった。まずは、幼少期に戦争を体験している父にヒアリングして、いろいろ聞いた。具体的な戦争体験のシビアな話もあったし、敵国語が禁止されて、カレーライスは「辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)」と言ったとかいう、こどもなりに興味を持ちやすい話題もあった。
写真を世代で追えば、次は母となり、私となり、娘氏となる。母の写真は、どんな写真になるのだろうか?それは何を物語る?そして、私は?
>お盆と神話
祖母の一周忌での帰省だったので、お寺さんで読経などしてもらう。もろもろの法事が終わって、お茶の時間になると、いつも、お坊さんが家族に混じっていろんな話をしてくれるのだけど、今回の話題を要約すると、「人間が社会的な動物であり、決して、1人では生きられない」という話だった。ちょうど「人の関係性と、その依存関係」について深く考えるプロジェクトの真っ最中だったので、刺さった。そして、プロジェクトメンバーが「このプロジェクトの思想は仏教的だ」と言っていたのを思い出す。
また、お盆という風習や、神話についても少々。「日本では、お盆にご先祖様が帰ってくる、ということになっているけれども、本当のところは、私(お坊さん)にもわからない。でも、ご先祖様が帰ってきていると思って、振る舞うこと、に意味がある」と。「そんな国は、そうそうないですよ。なかなかいい国だと思います」と。どういうことなのか、ちょっと考えてみたい。
あの世、この世。かつては天国も地獄も、“この世”と“地続き”で自由に行き来できたのが、出来なくなった、という神話の話。神話の正当性や、信憑性は一旦横において、こういう、常識的な考え方からかなりズラされる視点を投げ込まれることは、個人的に好きなので、いろいろ考えることになった。人間が一般的に持っているとされる「死」への恐怖心は、何のためにあるのだろうか?もし本当に地続きだったなら、そういった恐怖は生まれなかった(必要なかった)はず。「死」への恐怖があることで、何がバランスしているのだろうか?
夏風邪で休んでいたとき、娘氏が「しむ(しぬ)のがこわい」と言った。わたしはこどもの頃から、あまり「しぬのがこわい」と思ったことがなくて、リアルにはその恐怖をわかってあげられないのだけれども、「この風邪でしんじゃうことはないから安心して大丈夫だよ」と言って、抱っこした。娘氏は、ひとまず安心した様子。私にとっての死への恐怖は、夫氏や娘氏といった、かけがえのない存在のソレ、こそが恐怖であり、自分自身の死ではない。この(自分自身の死に対する)感覚は、私のなかでは、初産の妊婦にとっての陣痛への恐怖と同じで、1)自分自身としては未体験ゾーンではあるが、2)どうせ避けられないとわかっていること、3)陣痛があることに意味があり無いと逆に困る事案であること(≒死なない方が怖い)、4)すでに大多数の人が体験済みのこと、であるからして、まあ多少のドキドキはあるけれども「考えても仕方ない案件」かつ「まあナントカナル案件」として処理されている。大雑把すぎるのだろうか?
ーーー
結論のない、夏の日の記録。
◎昨日と今日
◎なんのはなしだったの?
昨夜は夫婦共に夜に仕事があって、娘氏は夫氏の仕事についていってもらうことに。
偶然、気の合うおともだち(同じく年中さん)がママの仕事に付いてきていたので、もうゴキゲンで、嬉しそうに遊びまわっていたらしい。
で、今朝の話。
私が、夫氏に昨夜の仕事(広義の「システム」についてのディスカッション)の様子を聞いていたら、娘氏が、会話に割って入ってきた。とても真剣な目をしている。
曰く、ねえ、パパが帰りにお話してたのは、何の話だったの?
夫氏は、どうやら、帰り際の立ち話で、人間の脳の認知獲得について話していたらしかった。夫氏は、それをどう説明するのかと思ったら、、、次のような展開になった。
夫氏:
娘ちゃんとパパがいて、おじいちゃんがいるでしょ。
娘ちゃんとパパは、親子だけど違ってて、パパとおじいちゃんも、ちょっとずつ違うでしょ。
そんな風に、ちょっとずつ違っているんだけど、そのまたおじいちゃんの、おじいちゃんの、ってどんどんどんどんつながっていくと、おさるさんになるの。
で、そのおじいちゃんのおじいちゃんの、ってどんどんどんどんつながっていくと、おさかなになるんだって。
娘氏:
ふーん。すっごいつながってるの?ぜんぶ?
夫氏:
そう。すっごくたくさんつながってるの。
娘氏:
ふーん。にんげんがはじまり?
夫氏:
人間ははじまりじゃないけど、人間からみて、人間をはじまりとして、さかのぼってかんがえると、そうなるってことかな。
娘氏:
それは、(手で大きく円を描いて)こういうふうに、つながってるの?
夫氏:
そういうふうには、つながっていない。
娘氏:
あの、おうまさんがいるでしょ。はじめちゃんとか、あられちゃんとか(いずれも馬の名前)。
で、(手で大きく円を描いて)こんなふうに(馬場を歩いて)もどってくるでしょう?
こういうふうには、つながっていないの?
夫氏:
そういうふうには、つながっていない。
でも、おうまさんも、はじめちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんってなると、娘ちゃんのつながっているところとおんなじところにつながるよ。
まあ、おばあちゃんでも、いいんだけど。
娘氏:
へえ。(ひとしきり満足した様子で、自らソファを降りた。)
私が、じゃあ、ママもつながってるのかな?って言ってみたら、
にんげんなら、べつに、娘ちゃんでも、ママでも、誰でもいいんだけど。
と返された。。。
昨夜、娘氏は、夫氏の立ち話のどこに、興味をそそられたのだろうか。
おそらく、猿から人間への進化のプロセスのなかで、脳の進化や、認知のプロセス、みたいな話をしていたのではないかと思われるのだけど。
一夜明けて、会話に割って入ってまで質問するくらいには、印象深かったのだろうと思われ、つくづく、こどもは科学に対してとてもフラットでオープンな存在なのだと思い知らされる。
こういう存在が欲している知的刺激は、文科省の学習指導要領で担保されているんだろうか。。。
なんて考え始めると止まらないから、今日のところはやめておく。
でも、こどもが知的にひらかれている存在だということを忘れないために、記録。
◎はだいろ
Facebookでこの記事(上のリンク)が流れてきて、とても共感した。
というのも、つい先日のこと、自画像を描いていた娘氏(年中)が、途中まで描き進められた画用紙の上に自分の腕を照らして、ものすごく真剣な眼差しで首をかしげていた。
(左が年少のとき、右が今回)
あまりに真剣なので、どうしたの?と声をかけると、「うすだいだい(以前ははだいろと言われていた色)と、娘ちゃんのはだの色は、全然ちがうよ」と言った。それで、腕への光の当て方を変えながら観察していたのだな、とわかった。
「そうかあ、よく気付いたね」と言いつつ、うすだいだいと名前を変えても、はだいろとしての認識を持つんだなあと思いつつ、わたしはその場を去った。本人はこの発見を、ポジティブにもネガティヴにも捉えておらず、ニュートラルな不思議の発見のひとつ、という体験のよう。
夕食後に、娘氏がそんな観察をしていたことを夫氏に伝えていると、娘氏がすっきりした顔で「あのね、うすだいだいに、すこーしだけ茶色の絵の具を混ぜたらいいんだよ」と言った。娘氏なりの観察と考察は終わったらしい。
うすだいだいと名前を変えたことには、一定の意味があると思う。でも、それだけじゃなくて、こういう下着ブランドのような選択肢が提示されることの意味は大きいなと思う。
◎成長の密度。
昨日、この写真の数時間前に、娘氏(5才2ヶ月)は、突然「自分の5歳の誕生日は、もう一生訪れることはない」ということに気づいたらしく、道端で号泣し始めた。ぜんぶで30分くらい泣いたかなあ?
すごい大きな声でわんわん泣いた。そのうち、ママのバカ、とか言い始めたので、それは違うよね、という指摘ははさみつつ、気が済むまで泣けばいいさ、というつもりで適当なベンチに座った。すごい勢いで泣いてるけど、ママの、、、の先だけは言わないように自分なりに制御してる。
ひとしきり泣いて、そろそろ泣き止まないとその後本人がやりたがっていたことが出来なくなる可能性があることを伝えつつ、このまま泣くか、やりたいことをするか、選んでもらうと、号泣しながら前に進んだ。目的地に着くまで歩く間も相変わらず号泣してたけど「帰らない、行く」という。「泣いていたら入れないよ」と再び選択を促しつつ、目的地の目前で「10かぞえてごらん。もし行きたいなら、そろそろ時間だから、ゆっくり10かぞえて、落ち着いたらおいで」と言って先に角を曲がる。金網越しに娘氏の姿が見える視界だけ確保して、目線を合わせてしゃがみ、待っていると、次第に落ち着いて、てくてく歩いてきた。
「一生に一度しか、5歳の誕生日は来ない」ということに真の意味で自覚的になったとき、ここまで絶望できるのはすごいなと思った。悪態をついても、それは八つ当たりだとほんとはわかってて、指摘されれば、号泣のさなかにあっても「それは言わないように、、」と懸命に自制する。その自制自体が新たなストレスになっていることは明らかだけど、それでもこらえる姿をみて、すごいなと思った。時間があれば、好きなだけ泣かせてやりたかったけど、本人のやりたいこととのトレードオフだから自分で選んでもらうしかないわけだが、あんだけ絶望に満ちた号泣をしながらも、「いまここ」はちゃんと掴んだまま手放さずに、前に進むのだな、というのも関心した。絶望に乗じてすべてを投げ出してしまわずに、留まる感じ。
なんか、成長に密度を感じるというか、とても大きな人間に見えた。
で、この写真の1時間くらい前に、「ままそのねくれすとてもすてきだね」というお手紙をくれた。絶望の淵から帰ってきたのだね。
で、この写真の数時間後に、なんの脈絡もなく、ママうらやましいなあ、と言った。そう?と返すと、「やっぱり(自分)ちゃんがいいや。わたし、(自分)ちゃんでよかった。わたし、自分のこと、だーいすき。ニコッ」と言った。おそらく、はじめての言葉。
自己肯定感とか、ほんと難しい。自己肯定感が育つように、損なわないように、とひたすら願って接してきたつもりだけど、いったい自己肯定感とやらは育っているのか、よくわからない。でも、昨日は、ちゃんと本人の頭と心と肚が一本通ったような佇まいと声で、「自分でよかった」と言う姿をみせてもらって、おどろきつつ、ひとまずは安心した。
ひとつひとつは、何気ない日常からたちのぼる、何気ないワンシーンで、わかりやすくスポットライトが当たっているわけじゃないけど、日常はあなどれないなあと、しみじみ思う。
◎あいさつを哲学すると。
Facebookのタイムラインに、尊敬する西條先生の記事が流れてきた(上のリンク)。記事の本論とはまったく違う文脈で恐縮なのだけれど、ひとつ発見があったので備忘録がてら書いてみる。
以下引用。
例えば、「挨拶」とは何か。ある人にはするけれど、皆にするわけではない。でも、挨拶がない国ってきっとない。登山をしているときには比較的挨拶をするけれど、道端で突然挨拶をしたら驚かれる場合もある。挨拶って何なのだろう?人はなぜ挨拶をするのだろう?
授業では、そうした問いを投げかけていました。そのとき得られた答えが、「相手の存在を肯定する最も簡単なサイン」というものでした。
そう考えると、職場で挨拶をしないというのは、いちばん簡単な存在承認すらしていない、ということになる。いわば存在否定をしているわけですから、そんな職場が、うまくいくわけがない、ということを論理的に理解できるようになります。
娘氏(5才ほやほやw)は、「挨拶」ができるときとできないときがある。
一方で「ありがとう」は、嬉しい気持ちや助かった体験などを同時に味わっているので「本質的な意味」がわかるらしく、だいたいにおいて言える。初対面だろうと、言語が違う相手であろうと。
でも、「挨拶」は出来る場合と出来ない場合があって、かねてより、どうも「挨拶」の「本質的な意味」が腑に落ちていないようにみえるなあ、と感じていた。もちろん、照れているとか、はずかしいとかもあるけど、そればかりでもなさそう、という感じ。
それで、冒頭の「挨拶とはなにか?」の真理に触れて、オトナとしてはとても腑に落ちるし、ある意味で、娘氏は自分なりの世界観のなかで、すでにこれを実践しているともいえるのだな、という発見をした。見知った人や大好きな人への挨拶は、こちらが驚くほどの快活さをみせるし、あるいはテンション低めの挨拶だったとしても、決して相手の存在を無視したりはしないのだから。それは、逆のことをされたらかなしい、ということが腑に落ちているからだろう。
一方で、挨拶できない場合のケースに当てはめて考えてみると、たしかに本当の意味で「相手の存在を肯定することの重要性」を理解するのは難しいだろうな、と思った。娘氏は、たとえばマンションのエレベーターでほんの少しの時間一緒になっただけの居住者が、娘氏に挨拶をしてくれなかったとしても、「ああ!自分の存在が否定されたわ!なんてこと!涙」なんて思わない。ましてや、初対面の人への警戒心が強い娘氏にとって、よく知らないオトナの「存在を肯定したい」、という欲求は育まれていないだろう。
娘氏が、全方位的に「挨拶の真理」に気づき、腹に落とすには、もう少し時間が掛かるのだろうな。つまり、なにかもっと切ない気持ちを味わう体験をしないと、わからないのかもしれないな、と個人的に大変腑に落ちた。
*
、、、とここまで書いて、西條先生なら「相手の存在を肯定する最も簡単なサイン」を幼児にもわかるように説明しようとしたら、どんな風になさるのだろう、、、と思ってみたり。。
実は、わたしはそれを、見出だせないでいる。
「好き/嫌い」「味方/敵」のような幼児の生活にも馴染んでいる語彙では説明できなくて、むしろミスリードしてしまう気がするのだ。娘氏にとっては、好き(あるいは味方)でも嫌い(あるいは敵)でもない、自分にとってニュートラルな存在で同時にまったく無関係でもない相手、への挨拶をこそ、謎なのだから。あるいは、娘氏の存在自体が素晴らしくてママはそれだけで嬉しい、ということは伝えているつもりだが、それと「挨拶」もどうも距離があって、むずかしい。。。
*
とかく、挨拶は理屈抜きに、あるいは強行的に「こうするもんだ!」と教え込めばよいのだ、という考えもあるのはわかるし、それを否定するものではない。それくらい、挨拶ってだいじなことだと思うし。しかしながら、どうも娘氏の場合には、その手段が裏目に出ることはあっても、効果的ではなさそうなのである。みなさまからお叱りを受けながら、娘氏には地道に自らの実践を見せつつ、出来ることと出来ないことの両方を発見し、認めながら、長い目で見守りたい。イマココ
追記:
ちなみに、西條先生は「「構造構成主義」という、物事の本質をとらえる学問について研究(記事より引用)」なさっている方で、東日本大震災のときに、その研究者としての知見を惜しみなく発揮して「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げられた方です。ひとことで言うと、必要な人に必要な支援を必要な分だけ、届ける仕組みを作られたのです。すごい!その時の体験をまとめられたご著書が「チームの力 ー構造構成主義による“新”組織論ー」で、組織やシステムについて悩み多き方にはとてもオススメです。
今回の熊本の震災では、それらの教訓や叡智を集結して、より洗練した仕組みを「スマートサプライ」というプロジェクトでご提供なさっています。第一弾の支援は完了していますが、今後も続々とニーズが届くと思いますので、ご興味のある方はぜひ下記リンクをご覧くださいませ!
◎5才の誕生日は、こんな日でした。
娘氏が、5才になった。
いつからだろう。イベントをイベントとして扱うことが苦手になった。特別なものとして扱うのではなく、日常の延長線上においておきたいような気持ち。日常のありがたさを知ったのだろうか。
誕生日プレゼントは用意したけど、キャンプの帰りにアウトレットで一緒に選んだ巨大レゴは包装紙で包まれてもおらず(アウトレットではプレゼントラッピングはしてくれないからね。笑)、数日前から「ぜったいに箱は開けないから、見たい!持ってきていい?」というのでリビングにずっと置いてあった。本当はラッピングをしてあげようと思っていたけど、そんなわけですでにリビングにあるし、娘氏は食い入るように箱をながめ、寝転がっては抱きしめているしで(笑、結局そのまま。当日の朝、特にプレゼント贈呈の儀式もなく、娘氏は「もうやっていいよね!」と箱を開けた。
夕食もいつもと一緒。ケーキだけ用意して、夫氏の帰宅を待ってささやかなお祝い。それが、偶然にもちょうど生まれた時間と重なって、当時の写真を見たりする。
朝のあいさつだけは、特別だったかな。「おはよう」よりもさきに「おたんじょうびおめでとう!5さいのおねえさん!」と伝えた。寝転んだまま「ありがとう。もう4さいもおわりだね」とうれしそうに、でも落ち着いた口調で、娘氏が言った。
夕食後のひととき、ふと、ああこれはウチっぽい風景なのかな、と思った瞬間があった。わたしが食卓で、娘氏の誕生日に始めようと取り寄せておいたプランジャパンの寄付のパンフレットを読みながら、この世界の姿をどう伝えたら娘氏に伝わるだろうかと考えていたはずが、いつの間にか寄付プログラムの構成やパンフレットの作り方、アウトカムの指標の取り方などを分析モードで読み込んでいる自分に気づいたとき、ふと我に返ってあたりを見渡すと、娘氏は誕生日プレゼントのレゴを黙々と一生懸命やっていて、夫氏はその日届いたばかりの本をソファに寝そべりながら読んでいる。それぞれ勝手に没頭して、満足してた。笑
ひとところで、お互いの存在を感じて安心などを味わいつつも、それぞれの世界を生きている。そんな感じで行こう。わたしもわたしを生きる。夫氏も夫氏を生きる。娘氏も娘氏を生きる。お互いにお互いの安全地帯となって支えつつ、それぞれを生きよう。・・・まさか、そんなことを噛み締めるとは思わなかったな。
5さいのたんじょうびおめでとう。
ほんとうにおめでとう。
それから、ありがとう。
わたしは、あなたとかぞくであることが、ほんとうにうれしいよ。
きっとパパもそうだよ。